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つくることの「喜び」について、改めて考える

先日、「つくることの喜び」について話題になりました。

「つくることの喜び」で、まず思い当たるのが「達成感」です。
その時に、「焼印」というキーワードが出てきたんですけど、完成させたものに「焼印」を押すことの達成感。
もっとも、本当に焼印である必要は必ずしもないけど、やっぱり「達成感」はとても大切で、それは「キレイにボタンが付けられた」というような、小さな「達成感」でもよいと思います。

次に思い当たるのが「新たな発見」
「ああ、なるほど、この部分は、こうなっているんだ!」といったことが、完成させて初めて気づくことがあります。
つくる前は、どうなっているかの理由が分からなかったけど、無我夢中に見本や指示通りにつくっていくと、あと理解できることがあります。
あと、「自分は、つくっている時間そのものが楽しいんだ」といった、「つくる過程自体の心地よさ」に対する「新たな発見」もあります。




この2つが大きいけど、それとは少し違う例として、一昨年に大学で一緒だった学生さんのことを思い出しました。
その人は課題で、構造の理解が難しいデザインを提案してきて、そういう時には、課題のルールの範囲内で、かつ理論的に組み立てることが可能なら、「苦労すると思うよ」と一言うものの、実際に制作するかどうかは本人に任せています。
「楽して単位が欲しければ、他のデザインを選んだほうがよいけど、つくりたければ、ボクも付き合います」というのがボクのスタンスです。 で、つくりはじめると、予想通りスムーズには制作を進められなくて、トワル(型紙を確定させるために、仮に生成りの綿のでつくってみる服)を何度もやり直して頭を抱えていたし、縫うのが得意ではないこともあるけど、完成作品にも納得がいかず、自己採点がは30点だそうで、完成させた時点で、本来はどうすれば良かったかを本人が理解できていたとはボクには思えないし、作品が成功か失敗かと問うと「失敗」だと言っていい。
「ボクが、課題の採点を30点にしてしまうと、単位として問題がある」という現実は置いておいて、レポートの感想には、「服作りが最高に楽しくなりました」と書いていました。
夢中になっていたことは前から分かっていたけど、こういう人に出会えたことは嬉しいし、ボクが役立てていたならなお嬉しい。

これ、「達成感」ではなく、上記の「新たな発見」ではありそうだけど、かなり違います。

万人にとってのポジティブな出来事では決してなくて、「今まで知らなかった広大な世界が、実は目の前にあったという『新たな発見』」「自分にできないことがたくさんあるんだ、という『新たな発見』」、といったところでしょうか。

こういう経験には、いくつかの条件が重なる必要になります。
「たまたま選んだ課題が、最初はできそう(簡単そう)と思っていたけど、実はそうじゃないことに途中で気づくくらいの難易度であり、完全に途方にくれたり、期限に間に合わないくらいの難易度ではない」こと、「本人が立ち直りが早くて、未知の体験を喜べるタイプである」ことなど。




「喜び」がある、と「喜ぶ(喜べる)」は違う気がします。
「喜び」は誰かに与えてもらうこともできるけど、「喜ぶ」はそうじゃない。
一方で、どんな状況でも「喜ぶ」ことはできる(どんな状況でも「『喜び』を見出すこともできる」けど、ここにはふれません)。

そっか、大事なことは「誰かに『喜び』を届けられる人でいること」と、「自分は『喜べる』人であること」かも、と、脱線した結論になってしまったのは、この7月の暑さのせい?