洋服を作ったら、たくさん着よう。
服の声に耳を傾けよう。
そして、なるべく「雑」に扱おう。
自分で作った洋服を自分で着ることをお勧めする理由はいくつかあって、「洋服代の節約になる」「宣伝になる」などもあるけど、ここでボクが強調したいことは、「気づける」「より理解できる」ことです。
生地から仕立てる段階で、作り手が表面の劣化を抑える方法はありません。毛玉になったり、陽に焼けて色が変わったりすることは、仕立ての技術では解消も改善もできません。でも、どこか一箇所が傷んだりした場合は、作り手にできることはあります。例えば、タイトスカートやコートのベンツの開きの部分は、構造上、そこに力が集中するので痛みやすい箇所ですけど、仕立て方によって傷みを抑制できた可能性があります。
また、動きにくさや重さや、「この袖付けは、もう少しこうすればよかった」などの、微妙なシルエットや機能が気になってきたり、完成したときには気づかなかった問題点に、後で気づくことがあります。
なので、できるだけ「たくさん着よう」。
何度も自分で着てみないと気づけないような些細なこだわりが、洋服に付加価値をもたらしてくれます。
生地や、その先にある服には、自然に行きたがる「向き」や「場所」、あるいは、なりたがる「分量」があり、それに従ったほうがよいことがあります。「どうすればよいかを決めるのは、『作り手』ではなく『生地』だ」ということはあって、そういうときは、ただ着るだけではなく、「服の声に耳を傾けよう」。
どうすればよいかを、服が教えてくれます。
一着の洋服は、その作り手にとっては「作品」です。それが、お客様の手に渡る段階で「商品」になり、そして、そのお客様にとっての「ただの『服』」になります。
その、「ただの『服』」の姿を想像しておくべきなのです。
で、ここで、「なるべく『雑』に扱おう」が活きてきます。
自分で作った大切な洋服だから、と、あまり丁寧に扱っていると、問題が表面に現れてこないからです。
出来上がった洋服の問題点に、たくさん気づこう。そして、ちゃんと気に入らないでいよう。
ま、もっとも、他の誰かの服とか、発表会に着る衣装のように、自分でたくさん着るわけではない服もありますね。