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どこまでが「デザインの領域」で、どこまでが「技術的な領域」かを分けてしまうことは、その時点で、デザインが間違っているのかもしれない。

分業の進んだ多くのアパレル企業では、洋服をデザインする「デザイナー」と、型紙を作る「パンタンナー」は分かれていて、その先に縫製工場があり、デザイナーは「クリエイター」、パタンナーや縫製職は「技術職」と、一般的には認識されていると思います。
このように分けると、「デザインして、デザインから型紙を作り、型紙に従って仕立てる」となり、大量生産の世界では合理的で正しいことですが、切り替え線の美しさ、シルエットの美しさ、軽やかさ、重厚感、これらは全て、デザインの領域と技術的な領域、双方による影響があり、分けて捉えることはできません。

ただ、全くどうでもいいデザインの選択はないけど、技術的に全くどういでもいい選択はあり、例えば「装飾」がそれに当たります。
「デコレーションを白いクマにしようか?、茶色のクマにしようか?」などの選択は、洋服を形作る過程では、それが重要なデザインの選択だとしても、技術的には全くどうでもいいことです。

「デザイン」と「技術」を分けることのイメージとしては、デザインをするのが「頭(脳)」、型紙をつくることから仕立てることが「手(身体)」で、「脳が手を操作する」といったところでしょうけど、一着の洋服を作る過程を素朴に眺めてみた場合、「それって、本当なの?」と思ってしまいます。

デザインをするのが「頭(脳)」、型紙作りから仕立てることが「手(身体)」であるというイメージは、おおむね正しいと思いますが、問題は「頭が、手を操作する」ことに単純化されてしまうことです。
これでは過度に身体性が軽視されてしまいます。

「身体性を軽視することによって、知らない間に失なうことはけっこう多いんじゃないのかなあ?」

手が教えてくれることはたくさんあります。
どこまでが「デザインの領域」で、どこまでが「技術的な領域」かを分けてしまうことは、「手が教えてくれること」を、聴く力が失われることにもつながります。

「デザインの領域と技術的な領域は、あまり分けない方が良い」と思います。

個人的に、型紙の構造や縫い方を考えることから、デザインの発想・修正をすることが多いことも、「分けない方が良い」と思う理由の一つではあるけど、デザインの領域と技術的な領域は分けない方が良いと思います。

「頭で考えることも大事だけど、もっとたくさん手で触れて、手を動かそう!」

本当に美しいものとは、「デザインの領域と技術的な領域が融合したデザイン」で、どこまでが「デザインの領域」で、どこまでが「技術的な領域」かを分けてしまうことは、その時点で、デザインが間違っていると思います。