人がなぜ「おしゃれ」をするのかの根本を問うときには、サルとの対比で考えるのがいいと思う。
サルは、暮らしの中の「食」は隠して、「性」は隠さないらしく、この部分で一般的なヒトとは逆だ。
あと、群れの中のオスの優位性は、おおむね体格を含む腕力で決まるようだが(組織のドロドロとした出世争いのようなこともあるようだが)、ヒトの社会はもっと複雑だ。
したがって、「おしゃれ」とは何かを突き詰めると、「性」をテキトウに隠すための機能と、「優位性」を間接的に示すためのものだと思う。
ただ、ここからがややこしい。
「『性』をテキトウに隠す」の「テキトウ」とは、一体どのくらいなのだろうか? という問いが常にあり、現在ではユニセックスな服装も存在するが、伝統的な衣装で男女の区別が全くないものを私は知らない。
一方で「性器」をまったく放置している民族のおしゃれも知らない。アフリカやアマゾンなどの先住民族の衣装では、「隠す」か「誇示する」かのどちらかだと思う。
ちなみに、洋服に関して近代化以降では、メンズ服のデザインを、ウィメンズ服が取り入れて、一方のメンズ服は徐々に柔らかくなる傾向で、双方が中間に近づいてきているような印象を受ける。
一方の「『優位性』を間接的に示す」というのも、一般的には、価格の高いもの、高そうに見られるものが優位になりやすが、例外はいくらでもあり、「価格の高いもの、高そうに見られるもの」を身につけて、逆に中身のない人間に見られることも起こりうる。
また、「間接的に示す」こととは、どれくらい「間接的」かは、人によってや、その文化や時代などによって違うだろう。
誰が見ても「価格の高いもの、高そうに見られるもの」と、分かる人が見ると「価格の高いもの、高そうに見られるもの」で、どちらが良いかもケースバイケースだ。
では、「おしゃれ」は、どのような人にとって必要なのだろうか?